1997年春、私は大阪の街に立っていた。新卒で入社した情報通信・防災システムを得意とする中堅企業の名刺を手に、自治体向け防災システムの営業担当として、初めての商談へ向かう朝だった。
防災システムは、華やかな商材ではない。住民の命に直結するインフラだからこそ、顧客は慎重で、要件は複雑で、決裁までの道のりは長い。しかし、そのBtoGの世界で揉まれた3年間が、後の私のキャリア全体を貫く「現場感覚」の礎になった。
2000年代に入ると、親会社の大手電機メーカー本社への出向という転機が訪れる。消防・防災の専門知識を携えつつ、関東甲信越の官公庁・自治体へと活動領域を広げた。このとき私が掴んだのは、営業技術だけではない。「市場を動かす法制度」という視点だった。ヘリコプター衛星通信システムの社会実装に際して電波法設備規則の改正に関与し、技術だけでは開かない扉を、制度設計の力で切り開く経験を積んだ。
2008年、営業部長として、私は新たな問いに向き合い始めた。「この事業は、このままでいいのか」という問いである。
当時のビジネスは、大手電機メーカーの販売代理店として成立していた。安定的ではあるが、主導権は常に上位にある。売上の天井は構造的に決まっていた。そこで私が描いたのは、代理店モデルからプライムSIベンダーへの転換という、事業の根幹を揺るがすシフトだった。
消防庁・気象庁・航空局など中央省庁の難しい案件を自ら元請けとして取りに行く事業体制をゼロから構築した。BPOの探索と活用を組み合わせながら、プロジェクトマネジメント機能を社内に内製化していく。結果として売上規模は最大4倍にまで伸長した。
この時期、私はもう一つの動きを仕掛けた。既存の代理店関係という「フック」を使い、未取引だった放送局という新領域へ参入し、さらには次世代電力インフラ整備の下流工程を全面獲得した。既存の関係性を資源として、まったく新しい市場を開く——この「既存を梃子にした拡張」の思想は、以後のキャリアで繰り返し姿を変えながら現れる。
2014年、私は「事業開発室 室長」という肩書きを得た。しかしその実態は、前例も、部下も、予算も、ほぼない状態からのスタートだった。
私が手がけたのは、業務報告アプリ(SaaS)、IoTサービスという2つの柱と、それを支える独自プラットフォームの開発だ。企画、バリュープロポジション設定、開発(PdM)、マーケティング、営業、カスタマーサポートまで、事業立ち上げの全プロセスを自らリードした。
IoTサービスや業務報告アプリ(SaaS)を国内製造業で中堅・中小企業向けに導入。現場の業務効率化のために、PoC(Proof of Concept)から適応性や効果を検証した上で導入するプロセスで本導入を実現。新規製品×新規市場という新たなマーケットを切り開いた。
そして2016年、視野はベトナムにも広がった。ホーチミン、ハノイ、ダナンを自ら歩き、現地の日系企業とベトナム企業へのインタビューなどを通じて現地事情の徹底した調査を行った。また、現地通信キャリアとの協議を経て自社開発の通信機器の実証実験を行い、フィージビリスタディを実施。この製品輸出のビジネスでは技術的・マーケット的に厳しいと判断。アジリティの高い方針転換を行い、業務報告アプリ(SaaS)を業務管理アプリに応用、現地代理店するなど、国内と海外で同時にサービス立ち上げを成功させた。
2018年、事業開発本部の本部長となっていた私の戦略は、さらに深化していく。競争優位性の設計も緻密だった。「システム管理レス」「契約後に価格変更なし・仕様変更あり」「導入後の改修不要」——これらの顧客がシステム導入に求める本質的課題を同時に実現するビジネスシステム(仕組みや事業体制)をゼロベースで構築し、SaaSとセミオーダーSIという二つのリカーリングモデルを確立した。大手鉄道会社や大手ビルメンテナンス会社、国立研究機関といった著名な顧客を獲得したのは、その戦略設計の強さの証明だった。
2022年、私は大手製造メーカーグループのIT企業の部長として活躍の場を移した。連結売上高700億円超、従業員3,000人超という規模の組織において、私が担ったのは「全社成長戦略の立案」という最上流の仕事だ。
そして2025年春から、GTM戦略策定の事業計画策定プロセスの設計を担った。また、5〜10年先のマクロ環境調査に基づく未来予測を起点に全社成長戦略を立案し、経営幹部のビジョンを戦略書・企画書という形に具体化する役割を担っている。
さらに、組織全体の業務プロセス——改善・断捨離・AI化——の推進という、攻守両面の戦略実行をリードする立場にある。
営業の現場から事業開発、そして全社戦略へ。29年のキャリアを貫く一本の筋がある。それは、「構想を実行に変える」という姿勢だ。コンサルタントが描くだけの戦略でも、エンジニアが作るだけのプロダクトでも、営業が売るだけの商材でもない。その三つを、自らの手で束ねてきた人間がここにいる。